日光山輪王寺は天台宗三大本山のひとつで、大猷院がある

2016年8月14日・2019年6月14日 撮影
三仏堂 - 日光山輪王寺
三仏堂:2019年6月14日 撮影
日光山輪王寺 (にっこうさんりんのうじ) (栃木県日光市山内2300)は、お堂や塔、15の支院全体の総称である。天台宗の門跡 (もんぜき) 寺院だが、輪王寺という寺があるわけではない。
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三仏堂 - 日光山輪王寺
三仏堂:2016年8月14日 撮影
2007年(平成19年)から2018年まで大規模修理中で、写真のように工事用の素屋根で覆われている。拝観料を払って修理状況の見学ができる。寺院内は撮影禁止だが、修理中の三仏(本地仏)を間近に見ることができる。
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本坊表門 - 日光山輪王寺
本坊表門:2019年6月14日 撮影
江戸時代は、寛永寺、比叡山延暦寺と並び、江戸時代には天台宗三大本山のひとつであった。
本堂(三仏堂)は重要文化財で、男体山をあらわす千手観音、女峰山をあらわす阿弥陀如来、太郎山をあらわす馬頭観音が祀られている。いずれも7メートル以上の高さがある。
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本坊表門 - 日光山輪王寺
本坊表門:2016年8月14日 撮影
本坊表門は、表参道に面し、薬医門 (やくいもん) の形式で、皇族を門主と仰ぐ門跡寺の格式を示す。黒漆塗に金色の菊の紋章が添えられており、黒門とも呼ばる。
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勝道上人 - 日光山輪王寺
勝道上人:2016年8月14日 撮影
毎年4月2日に三仏堂で行われる「強飯式」といわれる古い儀式は、修験者の姿をした強飯僧が強飯頂戴人に3升ものご飯を強いるという荒行だ。強飯頂戴人になって儀式を受けると、無病息災、家運長久などの運を授かるといわれている。

明治の神仏分離令以後、東照宮、二荒山神社 (ふたらじんじゃ) とあわせて「二社一寺」と称されるようになった。
1999年(平成11年)、「日光の社寺」として世界遺産に登録された。多くの国宝や重要文化財がある。

奈良時代末、勝道 (しょうどう) 上人が日光山を開くとき、四本龍寺を建てたのが始まりとされているが、当時の歴史書には記載がない。
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相輪塔 - 日光山輪王寺
相輪塔:2016年8月14日 撮影
ロケットのような形をしている相輪塔 (そうりんとう) は鋳銅製で、高さ約13メートル。
1643年(寛永20年)、徳川家光の発願によって天海大僧正 (てんかいだいそうじょう) が建造したもので、法華経をはじめとする多くの経典が納められている。
天台宗の開祖・最澄の事績に六所の宝塔 (ろくしょのほうとう) というものがあり、この宝塔を相輪塔と呼ぶ。わが国を法華経の法力によって守るのために、東西南北中総の6ヵ所に建立して魔を除けるという思想がある。東=上野国、西=筑前国、南=豊前国、北=下野国、中=山城国、総=近江国の6ヵ所に建てられた。
現存するのは3基で、比叡山、栃木県都賀郡の大慈寺、それと日光山輪王寺のものである。
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仁王門 - 日光山輪王寺
仁王門:2019年6月14日 撮影
大猷院 (たいゆういん) は、江戸幕府三代将軍・徳川家光を祀っている。
入口の仁王門(重要文化財)から拝殿、本殿までの道のりは、天上界に昇って行くような印象を受ける。
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槇の木 - 日光山輪王寺
槇の木:2019年6月14日 撮影
仁王門を過ぎると、家光の長男で、四代将軍となった徳川家綱が自ら植えたという槇の木がある。樹齢約400年。
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灯籠 - 日光山輪王寺
灯籠:2019年6月14日 撮影
境内には315基の灯籠がある。
格が低く二天門より先へ進むことができなかった10万石以下の大名からの寄進が多く、灯籠に刻まれた名を1つ1つ見て回るのも面白いだろう。
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二天門 - 日光山輪王寺
二天門:2019年6月14日 撮影
二天門は1653年(承応2年)創建。重要文化財。正面の扁額 (へんがく) は、第108代天皇・後水尾 (ごみずのお) 上皇の宸筆 (しんひつ) だ。
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二天門 - 日光山輪王寺
二天門:2019年6月14日 撮影
桁行10メートル、梁間6.3メートルと、世界遺産日光の境内で1番大きな門で、東照宮の陽明門と対をなすような朱色が基調となっている。

見上げたときの迫力が増すように、質素な下層部に比べ、上層部には極彩色の組物が詰め込まれている。中間にある組み物は黒色、上部の組み物は極彩色で彩られている。

2012年(平成24年)から2018年にかけて補修工事が行われた。
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持国天 - 日光山輪王寺
持国天:2019年6月14日 撮影
二天門の正面には、その名の由来となった持国天 (じこくてん) 広目天 (こうもくてん) が安置されている。

持国天は、仏教を守護する四天王の1天で、東方を守護する。
元々は雷神インドラ(帝釈天)の配下で、のちに四天王に組み込まれた。
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広目天 - 日光山輪王寺
広目天:2019年6月14日 撮影
広目天も、雷神インドラの配下だったものが四天王に組み込まれ、西方を守護する。悪人を罰し、仏心を起させる。広目天の足元には人間の煩悩を表す天邪鬼 (あまのじゃく) がいる。

大猷院は、家康が眠る東照宮を向いて建てられたのが、これが鬼門の方角となっている。そこで二天門を設けることで、家康を鬼門から守ろうとしたと考えられている。
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風神 - 日光山輪王寺
風神:2019年6月14日 撮影
二天門を入ると、風神と雷神が安置されている。
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雷神 - 日光山輪王寺
雷神:2019年6月14日 撮影
この風神・雷神像は、家光公の霊廟を雨風嵐などの自然災害から守るため、陽明門に安置されていたものを、後世になって大猷院に移した。
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鼓楼 - 日光山輪王寺
鼓楼:2019年6月14日 撮影
二天門をくぐり抜け、石段を登ってゆくと、左側に太鼓を納めた鼓楼、右側に釣り鐘を納めた鐘楼が建っている。1653年(承応2年)の創建。
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鐘楼 - 日光山輪王寺
鐘楼:2019年6月14日 撮影
周囲には唐銅製の灯籠がずらりと並んでいる。ここにある灯籠は、二天門を通ることを許された10万石以上の大名から寄進されたものだ。
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夜叉門 - 日光山輪王寺
夜叉門:2019年6月14日 撮影
夜叉門 (やしゃもん) は、全体が黒漆と金を基調に華麗な仕上がりとなっており、装飾がすべてボタンの花で統一されていることから牡丹門とも呼ばる。重要文化財。

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夜叉門 - 日光山輪王寺
夜叉門:2019年6月14日 撮影
東照宮でいえば陽明門にあたる。屋根も陽明門と同じ軒唐破風 (のきからはふ) の切妻造になっている。1653年(承応2年)に造営された。
内側にも、びっしりと彫刻が施されている。
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毘陀羅 - 日光山輪王寺
毘陀羅:2019年6月14日 撮影
夜叉門は、中国の道教思想にルーツをもつ夜叉神(青面金剛 (しょうめんこんごう) )にしたがう四夜叉を安置する。人間の体内にいると考えられていた三尸 (さんし) という虫を押さえる神である。

表側には、南の方角を守護する赤い毘陀羅 (びだら) 
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阿跋摩羅 - 日光山輪王寺
阿跋摩羅:2019年6月14日 撮影
同じく表側に、北の方角を守護する緑色の阿跋摩羅 (あばつまら) 
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烏摩勤伽 - 日光山輪王寺
烏摩勤伽:2019年6月14日 撮影
門の裏側に行くと、東の方角を守護する青い烏摩勤伽 (うまろきゃ) 
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鍵陀羅 - 日光山輪王寺
鍵陀羅:2019年6月14日 撮影
同じく裏側に、西の方角を守護する白い鍵陀羅 (けんだら) 
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大猷院唐門 - 日光山輪王寺
大猷院唐門:2019年6月14日 撮影
大猷院唐門は、東照宮のそれとは異なり、自由に通行ができる。大猷院の門では最も小さいが、金地板への浮彫や透彫金具など気品あふれる装飾となっている。
中央に彫刻されている白龍が、家光の霊廟を守護している。
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大猷院本殿 - 日光山輪王寺
大猷院本殿:2019年6月14日 撮影
本殿は、拝殿、相の間と連なる独特の権現造り (ごんげんづくり) となっている。1653年(承応2年)造営。国宝。内部には、狩野探幽 (かのうたんゆう) の描いた唐獅子、天井には140枚の龍の絵、家光が着用した鎧などが安置されている。
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皇嘉門 - 日光山輪王寺
皇嘉門:2019年6月14日 撮影
皇嘉門 (こうかもん) は、本殿の西側に位置し、この門の奥が家光の墓所にあたる奥の院になっている。中国・明朝の建築様式で造られたもので、極彩色で彩られ、白漆喰の壁に大猷院の基調となる黒と金が際だっている。その形から竜宮門とも呼ばれる。
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交通アクセス

JR・東武日光駅からバスで約8分。東武バスのフリー券が乗り降り自由で2日間利用できて便利だ。
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出発地の最寄駅:

目的地:輪王寺

参考サイト

輪王寺

近隣の情報

(この項おわり)
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