承平・天慶の乱を起こして関東を平定した平将門であったが、940年(天慶3年)6月、藤原秀郷らによって討たれ、京都に首がさらされた。これを首桶に納めて密かに持ち去り、武蔵国豊島郡上平河村津久戸(現・千代田区大手町周辺)の観音堂に祀って津久戸明神としたのが筑土神社の始まりという。
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社殿の正対して左側の狛犬には宝珠が付けられている。
右側の狛犬には角が付けられている。
これらの狛犬は1780年(安永9年)、元飯田町の氏子により奉納されもので、千代田区内に現存する狛犬の中では最も古いもの。1996年(平成8年)に千代田区有形文化財に指定されている。
これらの狛犬は1780年(安永9年)、元飯田町の氏子により奉納されもので、千代田区内に現存する狛犬の中では最も古いもの。1996年(平成8年)に千代田区有形文化財に指定されている。
この力石は、元飯田町の氏子が奉納したもので、各々に「五十三メ目」(約198キロ)、「三拾貫余」(約112キロ)と刻まれている。江戸時代、地元の若者たちが力比べに使ったと言われている。
これらは1989年(昭和64年)に千代田区有形文化財に指定されている。
これらは1989年(昭和64年)に千代田区有形文化財に指定されている。
境内には、本殿より一回り小さい世継稲荷神社がある。
1441年(永享13年)、飯田町(現在に九段坂~中坂付近)に創建されたもので、徳川2代将軍秀忠が訪れた際にダイダイの木があるのを見て、「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、世継稲荷と呼ばれるようになった。
江戸中期には社殿も大きくなり、徳川御三卿のひとつ田安家の鎮守神として崇敬された。
1862年(文久2年)には、14代将軍家茂の正妻 ・和宮も子宝を願い参詣したという。
しかし、1945年(昭和20年)3月の空襲で全焼し、築土神社の再建とともに、その境内に再興された。
1441年(永享13年)、飯田町(現在に九段坂~中坂付近)に創建されたもので、徳川2代将軍秀忠が訪れた際にダイダイの木があるのを見て、「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、世継稲荷と呼ばれるようになった。
江戸中期には社殿も大きくなり、徳川御三卿のひとつ田安家の鎮守神として崇敬された。
1862年(文久2年)には、14代将軍家茂の正妻 ・和宮も子宝を願い参詣したという。
しかし、1945年(昭和20年)3月の空襲で全焼し、築土神社の再建とともに、その境内に再興された。
交通アクセス
【鉄道】
- 地下鉄東西線・半蔵門線・都営新宿線「九段下駅」1番出口より徒歩30秒
参考サイト
- 築土神社
- 世継稲荷神社:千代田区観光協会
- 西暦939年 - 承平天慶の乱:ぱふぅ家のホームページ
近隣の情報
- 築土神社は平将門の首を祀っている:ぱふぅ家のホームページ
- 皇居外苑・牛ヶ淵の桜:ぱふぅ家のホームページ
- 九段会館は二・二六事件の時に戒厳司令部が置かれた:ぱふぅ家のホームページ
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(この項おわり)