関電トンネルトロリーバスは、立山トンネルトロリーバスと並び、日本に残る最後のトロリーバスである。1964年(昭和39年)8月1日に運行開始。2018年(平成30年)11月30日に引退するまで延べ6162万人が利用。無事故記録は、2019年(平成31年)の電気バスに引き継がれる。
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後立山連峰赤沢岳(標高2,678メートル)を貫通する関電トンネル経由で16分で結ぶ。トンネル内は1車線だが、中央付近で2車線に分岐しており交換が可能となっている。
屋根の上に付いているトロリーポールが電車線に接触し、電気を受け取っている。電車のパンタグラフと同じ役割である。トロリーバスの正式名称は「無軌条電車」であり、電車線のあるところしか走れないことから、法律上は電車に分類される。
屋根の上に付いているトロリーポールが電車線に接触し、電気を受け取っている。電車のパンタグラフと同じ役割である。トロリーバスの正式名称は「無軌条電車」であり、電車線のあるところしか走れないことから、法律上は電車に分類される。
現在の車両は、1993年(平成5年)にデビューした 300形で、VVVFインバータ制御装置を搭載している。アクセルペダルの踏み込み角度を電気信号に変更し、自動的にトルクコントロールを行う仕組みになっており、オートマチック・バスと同等の運転操作となっている。また、パワーステアリングも導入された。
わが国のトロリーバスは、1928年(昭和3年)、阪急が運行した新花屋敷トロリーバスが初めてのものとされる。温泉宿・遊園地へのアクセス路線として、当時のバスでは登坂不可能な急勾配を越えるためのものだったが、営業は振るわず、4年で廃止となった。
1951年(昭和26年)、川崎市で都市交通機関として開業し、東京都、大阪市、横浜市と続けて導入され、ブームとなった。そこには、戦後の燃料不足と路面電車より建設費が安いという背景があった。
しかし、1960年代後半のマイカーブームで、道路の渋滞問題を解消するために地下鉄建設計画が進められ、1972年(昭和47年)の横浜市のトロリーバスが廃業したのを最後に、都市交通機関として姿を消した。
しかし、1960年代後半のマイカーブームで、道路の渋滞問題を解消するために地下鉄建設計画が進められ、1972年(昭和47年)の横浜市のトロリーバスが廃業したのを最後に、都市交通機関として姿を消した。
引退、そして電気バスへ
2018年(平成30年)11月30日、今季の営業終了とともに引退した。
2019年(平成31年)春には、車載バッテリーを電源に、天井に装着したパンタグラフを通じて充電する電気バスに切り替わる。
2019年(平成31年)春には、車載バッテリーを電源に、天井に装着したパンタグラフを通じて充電する電気バスに切り替わる。
参考サイト
- 関電トンネルトロリーバス:黒部ダム
- 立山黒部アルペンルート:ぱふぅ家のホームページ
- 立山トンネルトロリーバス:ぱふぅ家のホームページ
- 黒部ダムでダムカレー:ぱふぅ家のホームページ
- 黒部ダム:黒部ルートを使って内側から施設見学:ぱふぅ家のホームページ
- 室堂平はアルペンルートの中心地:ぱふぅ家のホームページ
- 黒部ケーブルカー:ぱふぅ家のホームページ
- 立山ロープウェイ:ぱふぅ家のホームページ
- 立山ケーブルカー:ぱふぅ家のホームページ
(この項おわり)