大和ミュージアムには 10分の1サイズの戦艦大和の精密模型

2019年12月30日 撮影
大和ミュージアム
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大和ミュージアム
大和ミュージアム(広島県呉市宝町5番20号)は、呉市海事歴史科学館の愛称だ。呉市が設立主体となり2005年(平成17年)4月23日に開館した。初年度の来館者は約123万人、その後減ったものの、2011年度以降は70~100万人の間を推移している。
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戦艦大和 10分の1模型 - 大和ミュージアム
戦艦大和 10分の1模型
入口を入ってすぐのところ、大和ひろばに展示されている全長26.3メートル、実物の10分の1サイズの戦艦大和の模型に目を奪われる。設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに、可能な限り詳細に再現したという。
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戦艦大和 10分の1模型 - 大和ミュージアム
戦艦大和 10分の1模型
船首部分に菊花紋章が取り付けられている。当時の海軍の基準で船艦の菊花紋章の直径は1.2メートルであるが、2016年(平成28年)5月の潜水調査の結果、直径1メートルであることが分かった。そこで、模型の方も修正された。
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戦艦大和 10分の1模型 - 大和ミュージアム
戦艦大和 10分の1模型
戦艦大和は、ロンドン海軍軍縮条約の失効を見据え、英米が建造するであろう新型戦艦に対抗するため、主砲として18インチ砲(46センチ砲)を備えた超大型戦艦として、1937年(昭和12年)11月に起工された。
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戦艦大和 10分の1模型 - 大和ミュージアム
戦艦大和 10分の1模型
1940年(昭和15年)3月6日、昭和天皇によって艦名「大和」が決まった。太平洋戦争開戦直後の1941年(昭和16年)12月に就役、翌1942年(昭和17年)2月に連合艦隊旗艦となった。
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戦艦大和 10分の1模型 - 大和ミュージアム
戦艦大和 10分の1模型
1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦が初出撃となったが、直接アメリカ軍と砲火を交えることは無かった。その後、ガダルカナルの戦いにも参戦することなく、対空兵装の強化を図るべく、3連装機銃などを増設した。この模型は、最終時の兵装である。

戦艦大和は全長263メートル、全幅38.9メートル、基準排水量6万4千トン、出力15万3千馬力、最大速力27.5ノット。
大和型戦艦は、4番艦まで建造計画があったが、実際に建造・就役したのは2番艦「武蔵」までである(1942年8月5日就役)。
機関は、1軸当り21,000馬力の艦本式高低圧タービンを長期信頼性向上のため約90%に低格下げを行い、合計150,000馬力となっている。
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戦艦大和 10分の1模型 - 大和ミュージアム
戦艦大和 10分の1模型
スクリューは、直径5メートルの三枚翼で、マンガン青銅鋳物、重量21.7トン。4基装備している。出力最大時には1分間に230回転する。
一般的な船舶同様、大和型戦艦でも右舷プロペラは右回り、左舷プロペラは左回りである。
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九一式徹甲弾 - 大和ミュージアム
九一式徹甲弾
主砲の18インチ砲(46センチ砲)は世界最大の艦載砲としてギネス世界記録に認定されている。

装填される九一式徹甲弾は、目標の手前に落下した砲弾が、水中である程度の距離を水平に直進し、艦船の水中防御部に命中させることを狙い、頭部が細長い円錐形になっている。全長約②メートル、砲弾重量1.5トン、炸薬重量34kg。射程は42kmに及ぶ。
装填に砲身の上げ下ろしの時間を加え、発射速度は40秒に1発程度とされる。
零式水上偵察機模型 - 大和ミュージアム
零式水上偵察機模型
零式水上偵察機模型は、1940年(昭和15年)12月、大日本帝国海軍に正式採用された水上偵察機で、3人乗り。主翼は折りたたみが可能で、艦載機としても水上基地からでも運用できる長距離偵察機だ。
特攻兵器「回天」 - 大和ミュージアム
特攻兵器「回天」
回天は、大日本帝国海軍が開発した初の特攻兵器(人間魚雷)である。全長14.7メートル、直径1メートル、排水量8トン。1.5トンの炸薬を搭載することができた。最高速度は55km/hで、航続距離は23km。
1944年(昭和19年)11月のウルシー泊地攻撃で実戦投入された。
零式艦上戦闘機 - 大和ミュージアム
零式艦上戦闘機
この零式艦上戦闘機(ゼロ戦)は、1978年(昭和53年)、琵琶湖から引き揚げられたもので、その後、嵐山美術館、ゼロパーク(和歌山県白浜町)を経て、大和ミュージアムに引き取られた。
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大和ミュージアム
太平洋戦争末期、中島飛行機で製造された機体(製造番号 82729)で、胴体中央下部に250キロ爆弾を搭載可能にしたもの。爆撃機が不足していたことと、特攻任務に就くための改造だった。翼面荷重も増大しており、軽戦闘機としてのゼロ戦の強みは失われていた。

大和ミュージアムの正面玄関には、ブロンズ製のネプチューン像が建っている。高さ3.8メートル、重さ1.2トン。呉市発祥の大新グループがイタリアで購入し、呉市に寄贈したもの。
戦艦「陸奥」の主砲身 - 大和ミュージアム
戦艦「陸奥」の主砲身 - 大和ミュージアム
屋外展示では、戦艦「陸奥」の主砲身が展示されている。
戦艦「陸奥」は、1921年(大正10年)10月24日に竣工した戦艦「長門」型2番艦で、この41センチ主砲は、建造当時、世界最大の艦載砲だった。
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戦艦「陸奥」のスクリュー - 大和ミュージアム
戦艦「陸奥」のスクリュー - 大和ミュージアム
1920年(大正9年)から日本製鋼所が北海道・室蘭で24門製造したうちの、1921年(大正10年)に完成した2号砲が、沈没した陸奥から引き揚げられ、展示されている。

戦艦「陸奥」のスクリューだ。
就役時、全長225メートル、排水量33,750トン。機関は87,479馬力で26.728ノットという、のちの戦艦「大和」に迫る速力を見せた。
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潜水調査船「しんかい」 - 大和ミュージアム
潜水調査船「しんかい」
潜水調査船「しんかい」は、1969年(昭和44年)に川崎重工で製造され海上保安庁が運用していた、日本で初めて建造された本格的な有人深海調査艇である。建造に当たっては、旧日本海軍の潜水艦建造技術も参考にされたという。
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全長16.5メートル、全幅5.5メートル、全高5メートル、排水量91トン。実用最高深度は600メートルである。
映画『日本沈没』(1973年公開)に登場する潜水艇「わだつみ」のモデルとなった。
芝生広場 - 大和ミュージアム
芝生広場
大和ミュージアムの海側には芝生広場が広がっている。小高いスペースには、戦艦「大和」の艦橋を模した展望台が建っている。
恋人の聖地 - 大和ミュージアム
恋人の聖地
2014年(平成26年)7月、大和ミュージアムに隣接する公園「大和波止場」が恋人の聖地に認定された。戦艦大和の前甲板をイメージして作られた公園である。

交通アクセス

【鉄道】
  • JR呉駅から自由通路経由で徒歩約5分
【船舶】
  • 呉中央桟橋から徒歩約1分
【自動車】
  • 山陽自動車道「広島東JCT」から約35分
  • 山陽自動車道「高屋JCT」から約55分
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:
 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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