東海道本線
221系電車は、113系、117系で運行していた快速・新快速の後継車両としてJR西日本が開発し、1989年(昭和64年)にデビューした直流近郊形電車である。
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私鉄との競合が激しい東海道・山陽本線・関西本線(大和路快速)に投入し、見事、1990年(第30回)の鉄道友の会ローレル賞を受賞した。
最高速度は120km/hを誇り、京都-大阪-神戸を新幹線並みの時間で接続する‥‥のは良いとして、あの揺れは何とかならないだろうか。
最高速度は120km/hを誇り、京都-大阪-神戸を新幹線並みの時間で接続する‥‥のは良いとして、あの揺れは何とかならないだろうか。
前面は展望、空気抵抗、見た目の良さなどを考慮し、丸みの強い流線形となっている。また、地下区間の走行を考慮して、前面中央に非常用貫通扉が設置されている。
車体は普通鋼製で、片側3扉を備える。大型連続窓を採用したことから、腐食防止を考慮して外板には耐候性圧延鋼材 (SPA) を採用した。
車体は普通鋼製で、片側3扉を備える。大型連続窓を採用したことから、腐食防止を考慮して外板には耐候性圧延鋼材 (SPA) を採用した。
大和路快速
1989年(平成元年)4月、大和路快速での運用が始まった。
床面高さはホームとの段差を小さくするために1,150mmに下げ、屋根高さを46mmほど上げた。
床面高さはホームとの段差を小さくするために1,150mmに下げ、屋根高さを46mmほど上げた。
また、天井機器の小型化により、客室高さを2,330mmと、117系に比べて160mmも広くして居住性を高めた。
1887年(明治20年)頃から山陰と岡山を結ぶ鉄道路線が提唱されていたが、日清戦争が勃発し、鉄道敷設計画は白紙に。戦後、軍が兵団・装備の運搬用として目を付け、境港から米子を通り姫路へ抜けるルートの建設が優先されることになった。
1902年(明治35年)、境港駅から御来屋駅までが開通した。
1933年(昭和8年)2月、京都駅から幡生駅まで全通する。
1933年(昭和8年)2月、京都駅から幡生駅まで全通する。
参考サイト
- 221系近郊形電車●JR西日本:交通新聞社 トレたび
- JR米子駅前には「山陰鉄道発祥の地」記念碑:ぱふぅ家のホームページ
(この項おわり)