京都大学は自由の学風

2017年8月12日 撮影
京都大学
百周年時計台記念館
京都大学(京都府京都市左京区吉田本町36)は、1897年(明治30年)に開設された帝国大学である。開設当初は理工学部だけだったが、その後、法学部、医学部、文学部が増設された。1949年(昭和24年)に旧制三高(1886年設立)を加えて新制大学へ移行した。
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百周年時計台記念館 - 京都大学
百周年時計台記念館
その後、学部の増設・改編などがあり、現在は10学部、教授1,000人、学生総数14,000人を擁するマンモス大学に成長した。
写真の百周年時計台記念館は、1923年(大正12年)に建設された時計台を、2003年(平成15年)に最新の免震構法を取り入れて改修したものだ。
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本部構内正門 - 京都大学
本部構内正門
京都大学には登録有形文化財が11施設あり、写真の本部構内正門もそのひとつだ。1893年(明治26年)に旧制三高の正門として建設され、京大内で最も古い建築物である。
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前総長荒木博士像 - 京都大学
前総長荒木博士像
名物のタテカン(立て看板)によって景観を台無しにしているのも、「自由の学風」の為せる技であろう。だがしかし、名物のタテカンは、京都市の景観を守る条例に違反するとして、行政指導を受けている。大学側は、設置場所などの制限を検討しているとのこと。

待ち合わせ場所の定番、前総長荒木博士像。
荒木寅三郎 (あらき とらざぶろう) 氏は医学者で、1915年(大正4年)6月、初めて公選が行われ、第7代京大総長に就任した。
その後、フランスからグラン・オフィシエ・ドラゴン・ド・ランナン勲章を叙勲され、学習院院長、枢密顧問官を歴任し、勲一等旭日大綬章を受章。1942年(昭和17年)1月に75歳で死去し、正二位に叙された。
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前総長新城博士像 - 京都大学
前総長新城博士像
荒木博士の跡を継ぎ、1929年(昭和4年)3月に第8代総長に就任したのが、新城新蔵 (しんじょう しんぞう) 氏で、宇宙物理学と東洋学の二足のわらじを履いた学者である。

日中戦争が始まると、貴重文化財の保護のため東奔西走を重ね、過労が重なって1938年(昭和13年)に視察先の南京で急死した。

京大構内には、歴代の教員を称える銅像が数多くあり、その中でも有名なものが旧制三高の初代校長、折田先生像であろう😀
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京都大学新聞 - 京都大学
学生新聞「京都大学新聞」が100円で売られており、迷わず購入。独立採算の京都大学新聞社が発行している。

バリバリの活動家スタイルを期待していたのだが、京大十七不思議や実写映画『銀魂』のレビュー記事など、意外なほどに普通の学生新聞であった😀
多くのジャーナリストを輩出しており、2014年(平成26年)に他界した、鉄道専業ライター、種村直樹 (たねむら なおき) 氏も京都大学新聞社の同窓生である。
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京都大学
立て看板
こういう立て看板を見ると、大学時代を懐かしく思う。少し注文を付けさせてもらうと、ゲバ字を練習しましょう😀
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交通アクセス

【鉄道】
  • 理学部・農学部は、京阪「出町柳駅」下車、徒歩約20分
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出発地の最寄駅:

目的地:
京都大学 関連

近隣の情報

参考サイト

(この項おわり)
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