2009年(平成21年)1月7日、昭和天皇の死去から20年の節目の日に、「昭和天皇二十年式年祭の儀」が武蔵野陵と皇居・宮中三殿で行われた。
武蔵野陵には、天皇・皇后陛下をはじめとする皇族方、麻生首相ら三権の長、閣僚ら約80人が参列。天皇陛下が陵の前で玉串をささげて拝礼し、「御告文(おつげぶみ)」を読み上げた。
宮中三殿で行われた皇霊殿の儀には、昭和天皇の親族ら約40人が参列し、天皇陛下の名代として皇太子さまが、皇后さまの名代として雅子さまが、それぞれ拝礼した。
武蔵野陵には、天皇・皇后陛下をはじめとする皇族方、麻生首相ら三権の長、閣僚ら約80人が参列。天皇陛下が陵の前で玉串をささげて拝礼し、「御告文(おつげぶみ)」を読み上げた。
宮中三殿で行われた皇霊殿の儀には、昭和天皇の親族ら約40人が参列し、天皇陛下の名代として皇太子さまが、皇后さまの名代として雅子さまが、それぞれ拝礼した。
入り口のそばには、高尾警察署の多摩御陵警備派出所がある。万が一の事態に備え、24時間365日、警官が常駐している。
2008年(平成20年)6月、宮内庁が公開した「大正天皇実録」によると、地盤が地震に強く、万葉集に詠まれた「多麻の横山」の故地であることから、この地が選ばれたことが分かった。また、明治天皇の「伏見桃山陵」に「依リ」「準ジ」という記述が多く見られ、明治天皇陵を意識していることも明らかになった。
昭和天皇陵「武蔵野陵」
香淳皇后陵「武蔵野東陵」
昭和天皇の后である香淳皇后良子(1903年3月6日生誕)は、2000年(平成12年)6月16日に崩御した。7月25日に斂葬の儀が行なわれ、埋葬された。
昭和天皇陵の南東に接して位置している。拝所などの構成は他の陵と同様である。
昭和天皇陵の南東に接して位置している。拝所などの構成は他の陵と同様である。
大正天皇陵「多摩陵」
第123代天皇、大正天皇嘉仁(1879年8月31日生誕)は、初めて一夫一婦制をとった天皇である。
大正天皇は1926年(昭和元年)12月25日に崩御し、翌年2月7日に新宿御苑において大葬が行なわれ、翌8日に陵所に埋葬された。
大正天皇は1926年(昭和元年)12月25日に崩御し、翌年2月7日に新宿御苑において大葬が行なわれ、翌8日に陵所に埋葬された。
陵域の面積は2,500平方メートル。上部2段・下部3段の上円下方墳で、上円は直径15メートルで高さが10.5メートルある。一番下部の段は一辺27メートルの正方形で、多摩川の石が葺き石として用いられている。
稜は南に面しており、正面に皇族拝所がある。階段を下ったところには特別拝所があり、さらにくだったところに一般拝所がある。皇族拝所と一般拝所には鳥居が設けられている。
稜は南に面しており、正面に皇族拝所がある。階段を下ったところには特別拝所があり、さらにくだったところに一般拝所がある。皇族拝所と一般拝所には鳥居が設けられている。
貞明皇后陵「多摩東陵」
大正天皇の后である貞明皇后節子(1884年6月25日生誕)は、1951年(昭和26年)5月17日に崩御した。6月22日に斂葬の儀が行なわれ、陵所に埋葬された。
大正天皇陵のほぼ東に位置している。陵の構成は一般拝所に段がないことを除けば、大正天皇陵とほぼ同じである。
大正天皇陵のほぼ東に位置している。陵の構成は一般拝所に段がないことを除けば、大正天皇陵とほぼ同じである。
交通アクセス
JR中央線・高尾駅から徒歩約20分。ウォーキングするのに良いコースだ。
車なら、甲州街道(国道20号線)から北に折れ、巨大なけやき並木を通り、南浅川橋を渡り、御陵の入り口に達する。無料の駐車場がある。
車なら、甲州街道(国道20号線)から北に折れ、巨大なけやき並木を通り、南浅川橋を渡り、御陵の入り口に達する。無料の駐車場がある。
近隣の情報
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(この項おわり)
大正天皇陵は「多摩陵」、昭和天皇陵は「武藏野陵」と呼ばれる。