車両側面にはクウェートへの感謝の言葉がアラビア語・英語・日本語で書かれている。三陸鉄道は、2015年(平成27年)3月期の純損益が2年ぶりに黒字になる見通しだ。全線復旧を果たしたことで観光客の利用が伸び、乗客数が前期の1.5倍の約75万4千人に上ると見込んだため。
NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台となり人気が高まった上に、今春の大型連休や夏休みを中心にツアー客が増加。集計中の2014年(平成26年)9月中間決算は経常損益が約6千万円の黒字となった。中間期では21年ぶりの黒字という。
三陸鉄道の誕生と東日本大震災
三陸鉄道株式会社(通称:三鉄)は、岩手県と沿線市町村によって1981年(昭和56年)11月10日に全国初の第三セクター鉄道会社としてスタートした。岩手県庁の幹部経験者が代表取締役は務める。
1982年(昭和57年)から、国鉄時代に未開業だった区間の建設を進め、1984年(昭和59年)4月1日に盛駅から久慈駅までの41駅、163.0kmが全通した。
開業当初は黒字を計上し、全国の第三セクター鉄道の誕生を後押ししたが、沿線の過疎化が進み、1994年(平成6年)から赤字に転落した。2003年(平成15年)に経営改善計画を策定し、合理化の徹底と共に観光客の誘致を図った。
そんな中の2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生した。2010年(平成22年)6月に岩手県庁を退職し社長に就任したばかりの望月正彦は、本社が停電したため、車両の中に災害対策本部を設置した。2日間、対策本部の中で三陸鉄道について考えを巡らせた望月は、鉄道が廃止されたあと栄えた街がないこと、バス路線に転換した地域はあっという間に衰退したことなどを思い出した。
13日に視察ができるようになると、田老駅の近くの線路に人の足跡が残っているのを見つけた。国道45号線は通行止めになっており車は使えないし、津波で車を失った住民も多い。
望月が島越駅周辺を視察していたとき、行方不明者を捜索していた消防団の人に、「三鉄をいつから動かすのか」と聞かれた。「うちの息子が宮古の高校に通うのに三鉄が必要なんだよ」という。望月は4月までに復旧する必要性を痛感した。
望月は、保線担当の反対を押し切り、1週間で復旧する決断を下した。「先のことはどうなるか分からない。しかし、今動かせるのであれば、動かす方が絶対いいよ」と望月は言った。16日に北リアス線、陸中野田駅から久慈駅間の運転を再開した。
クウェートは、復興資金に充ててほしいと原油500万バレルを送ってくれた。原油の売却価格は400億円にもなり、その一部が、36-700形気動車の購入資金に充てられた。
3月中に被害の調査を終え、復旧には6年かかるとの試算が出た。だが、望月は3年で復旧する方針を示した。望月は、11月3日の全線復旧の起工式を断行した。
望月は古巣の岩手県を説得し、1週間で運転再開したことが功を奏し、国の第三次補正予算108億円が国会を通ったのは、起工式の後、11月21日のことだった。
望月は、運転可能な区間から順次再開し、2014年(平成26年)4月6日、約束通り3年で全線運転再開した。
21世紀に入り、地方ローカル線の廃止がつづく。そんななか、観光需要をあてにせず、地道に地元の人の足となるよう努力しているローカル線はしぶとく生き残っている。どうか、三陸鉄道を含め、こうした努力を続けているローカル鉄道が末永く存続しますように🙏
1982年(昭和57年)から、国鉄時代に未開業だった区間の建設を進め、1984年(昭和59年)4月1日に盛駅から久慈駅までの41駅、163.0kmが全通した。
開業当初は黒字を計上し、全国の第三セクター鉄道の誕生を後押ししたが、沿線の過疎化が進み、1994年(平成6年)から赤字に転落した。2003年(平成15年)に経営改善計画を策定し、合理化の徹底と共に観光客の誘致を図った。
そんな中の2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生した。2010年(平成22年)6月に岩手県庁を退職し社長に就任したばかりの望月正彦は、本社が停電したため、車両の中に災害対策本部を設置した。2日間、対策本部の中で三陸鉄道について考えを巡らせた望月は、鉄道が廃止されたあと栄えた街がないこと、バス路線に転換した地域はあっという間に衰退したことなどを思い出した。
13日に視察ができるようになると、田老駅の近くの線路に人の足跡が残っているのを見つけた。国道45号線は通行止めになっており車は使えないし、津波で車を失った住民も多い。
望月が島越駅周辺を視察していたとき、行方不明者を捜索していた消防団の人に、「三鉄をいつから動かすのか」と聞かれた。「うちの息子が宮古の高校に通うのに三鉄が必要なんだよ」という。望月は4月までに復旧する必要性を痛感した。
望月は、保線担当の反対を押し切り、1週間で復旧する決断を下した。「先のことはどうなるか分からない。しかし、今動かせるのであれば、動かす方が絶対いいよ」と望月は言った。16日に北リアス線、陸中野田駅から久慈駅間の運転を再開した。
クウェートは、復興資金に充ててほしいと原油500万バレルを送ってくれた。原油の売却価格は400億円にもなり、その一部が、36-700形気動車の購入資金に充てられた。
3月中に被害の調査を終え、復旧には6年かかるとの試算が出た。だが、望月は3年で復旧する方針を示した。望月は、11月3日の全線復旧の起工式を断行した。
望月は古巣の岩手県を説得し、1週間で運転再開したことが功を奏し、国の第三次補正予算108億円が国会を通ったのは、起工式の後、11月21日のことだった。
望月は、運転可能な区間から順次再開し、2014年(平成26年)4月6日、約束通り3年で全線運転再開した。
21世紀に入り、地方ローカル線の廃止がつづく。そんななか、観光需要をあてにせず、地道に地元の人の足となるよう努力しているローカル線はしぶとく生き残っている。どうか、三陸鉄道を含め、こうした努力を続けているローカル鉄道が末永く存続しますように🙏
>参考サイト
- 三陸鉄道株式会社
- 三陸鉄道の社長が最後に伝えたかったこと:東洋経済
- 三陸鉄道復旧の鍵はスピード~「迅速」な対応と「拙速」な対応の差:日経ビジネス
- 「被災後1週間で運行を再開する」~決断を促した雪の上の足跡:日経ビジネス
- 約束の春 〜三陸鉄道 復旧への苦闘〜:新プロジェクトX
(この項おわり)
最高速度は95km/hで、定員は110名。全長は18.5m。
1両編成の気動車は地元住民の足であり、震災からわずか3年で全線再開し、毎日休まず運行を続ける。