これは、当時の電車や客車に比べ小さく、乗り心地が犠牲になっていた。
だが、1955年(昭和30年)に入り、準モノコック構造車体とプレス鋼板による溶接組立台車の導入により、十分な強度を維持したまま車体の軽量化に成功。車体重量はキハ17系と同じ約30トン、定員も同じ80人で、全幅を2.9メートルに広げたキハ20系の製造の目処が立った。
乗り心地、居住性などが改善され、両側運転台、片側運転台、荷物合造車、北海道向け、2エンジン搭載タイプなど様々なバリエーションが派生した。
だが、1955年(昭和30年)に入り、準モノコック構造車体とプレス鋼板による溶接組立台車の導入により、十分な強度を維持したまま車体の軽量化に成功。車体重量はキハ17系と同じ約30トン、定員も同じ80人で、全幅を2.9メートルに広げたキハ20系の製造の目処が立った。
乗り心地、居住性などが改善され、両側運転台、片側運転台、荷物合造車、北海道向け、2エンジン搭載タイプなど様々なバリエーションが派生した。
(この項おわり)
写真の467号車は1962年(昭和37年)5月に帝国車両で製造された。機関はDMH17Cを1基搭載し、出力180ps。最高速度は95km/h。平成2年5月に引退した。